日本機械巡航見本市
細川明彦
香港での活動
細川益男
当社の国際化はM&Aによる展開が注目されがちですが、最初に海外で企業を設立する4年前、1956(昭和31)年には北京上海日本商品展示会に出展しています。ちなみにこの年に東海道本線の全線直流電化が完成した、という時代でした。また同年、当時専務であった細川益男の兄であり、営業部長であった細川明彦は、日本政府の財政支援援助を得て実施された日本機械巡航見本市に参加しています。これは船の中を展示会場とし、3か月かけて東南アジア8カ所に寄港し日本製品を紹介するといったものでした。さらに2年後の1958(昭和33)年に細川益男は、香港の会場に新製品の微粉砕機マイクロパルベライザを据え付け、どんなものでも粉にしますという招待状を出したところ、雨天にもかかわらず百人以上おいでいただいたことから、改めて海外展開に自信を持った、と言われています。
これらの経緯を踏まえ、東南アジアのお客様と、より密接な関係を築き、技術やサポートを提供する窓口とすべく、様々な販社が設立され始めました。